ただ記録する。

日々の記録。

誰かが思う孤独はまだわからない。

人と接したときにひとり反省会が始まることがよくある。仕事のときはほとんど話さないし話したとしても業務的なことが多い。そういうときは比較的、反省会の頻度は少ない。時々プライベートな話とかその場の空気を壊したくて発するときにはひとり反省会をすることも多い。ひとりで過ごしているとこれがないからとても穏やかだ。ひとりでいることを寂しいとは基本的には思わない。心地のいい孤独だと思っている。人と接するのがしんどくてそう思い込もうとしているのかと考えることもある。心地いいと感じる友人もいるから恐らく無理はしていないだろう。時々人恋しくなり深酒をしたときに勢いで文字を送りつけたり、声を聞こうと発信をすることもある。記憶が薄っすらとしているから断定はできないけれど、こういうときはだいたい、本能的に交信したい人に連絡をとっているであろうと推測する。これは心地のいい孤独の話。

知人や友人がいるなかで感じる孤独というのはあまり味わいたくない。見知った人がいるにも関わらず、なぜ孤独を感じるのか。それは知っているのに話せない、うまくコミュニケーションがとれない、自意識が過剰になり他人を意識しすぎて身動きがとれない。そういうふうに感じるときは本当はその場にいたくないんだと思う。付き合いでいった場所やイベントごとだったり、いわゆる社交辞令的なもの。自分が好んで行く場所や音楽だとしたら誰かがいても孤独は感じない気がする。ということは誰かがいて孤独を感じるときはその場所を去ればいいということになる。

自宅でひとりでいることに関しては孤独は感じない。自分で選択して選ばなかった人生が華やかに見えたときに、わたしはこれでよかったのかなってすこし不安になる。そんなときに孤独を感じる。そういうときには気心しれた友人に会いたくなるし、連絡をとりたくなる。今どう選択するか決めて進んでいくしかないということは頭では理解している。「わたしはそれをしたいのか、自分で選択して生きてきただろう、今何がしたいのか何もしたくないのか、それをとりあえずやったらいい」と不安で泣きそうなわたしを冷静なわたしがツッコミをいれることでなんとかバランスを保つ。したいことをするのが一番の特効薬だと思っている。例えば、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲むとか。行きたい場所に行くとか、何も考えず眠るとか、ぐっとくるものを探しにいって買うとか。一番いいのはスーパーに行く、おいしそうだと思った食材を買う、家で何か作る、食べる。眠くなったら寝る。好きな音楽を聴く。何もせずごろごろするがいい。そして月曜日になればまた仕事が始まり、お昼のお弁当の用意をする。リズミカルな毎日が始まる。これによって生活リズムは嫌でも整うし、おまけに給料ももらえる。週末は時間を好きに過ごし、時々遠出することもできる。今の仕事はそのためのお金を稼ぐためのものと考えているから任務は果たそうと思っているけれど、そんなに重きをおいていない。毎日休みだったらいいなと考えることもあるけど、仕事のおかげでバランスは保たれていると思うと、嫌なことも時々あるけど、ひとりでモクモクできて休日も十分、残業もほぼなく最高だ。結局仕事もプライベートも基本的にはひとりが居心地いいということだ。明日からまた黙々と働いて週末が近づくことを楽しみながら生きようと思う。

家でひとりでいることを孤独だと感じ、それを不安に思う。また家にいるより外での活動を好むひとの孤独について考えていたんだけど、まずはわたしは孤独というものをどのように受け止めているのかを考えていたら長々とした文章になってしまったのでそれについてはまた別の機会にする。