ただ記録する。

日々の記録。

とりとめのない下書きに蛇足

毎日ほぼ同じ時間に起きる。平日は職場に行くことを目標に支度を済ませ玄関のドアを開けることができる。ゴミの日は捨てる。電車に乗って職場へ向かうときになるべくであればせかせかしたくない。ただギリギリの時間で動いているときはどこかではせかせかしないといけないポイントがある。そういうときはどこでせかせかするかを決めてせかせかする。こういうことがないようにスケジュールは組みたいところではある。でもまあ理想と現実はちがうことも多々ある。起きたことを受けてどうするか。ちょっと大げさにいったけれど、すこし早めに行動したらどうにかなる。他者他所に求めても解決はなかなか難しい。自分でできることをしてだめなら諦める。いつからだろうかこういう考えになった。たとえば電車通勤のなかでこうしてくれたらいいのにとか、社会通念上の当たり前を考えてもそれに当てはまらないひともいるし、わたしはそう思うけどはたしてそれは世の中の当たり前なのだろうか、わたしも同じ立場になることがあるのではないだろうか、そう考えてしまうとなかなか他人に求めることができない。これって結局自分のことしか考えてないんだろうな。自分もそうかもしれないから相手にも求めない。自分のことを許してほしいから他人のことも許す。許すというよりもそれぞれいろいろありますよね。というほうが近い。人間というものは言葉があるのにも関わらず発した言葉がその人の感情を正しく表しているといえばちがうこともある。日本語以外の言語を勉強したことがないのでわからないけれど、少なくても日本語というものは、いわゆる空気というものを読むという場面が時々あるのでとても困る。公共の場、職場であったりとか誰にでもわかりやすいようにするほうがいいとわたしは思うけれど、知識のあるひと、理解の早いひとは省略というものを好むのか省略をすることがある。なぜわたしがその人の気持ちを汲まなければいけないのだろうかと思うけど、それを言うエネルギーはない。頭がいいのにこういう方法でやるってことはこういう方法でしかやるつもりがない人なんだろう、そんな人にいうエネルギーはない。頭がよくてわかっているならそういうやりかたはしないだろうから、言う気にもならない。わからなくてやってない人になら言うかもしれない。言っても仕方がないし、言った言葉は結局自分に返ってくる。わたしみたいな人間が他人様に言える立場ではない。そうやって言わずにいるからこんな下書きをするんだろう。人間界で生きていくのはやっぱりしんどいな。