ただ記録する。

日々の記録。

寂しくなったら寂しい

朝起きてスマホの光で目を覚まし、そしてカーテンをあける。食器を洗い、コーヒー豆をフライパンで焙煎した。1回目の焙煎後に3分の1くらいをシンクにぶちまけた、嗚呼。仕方がないので諦めた。諦めを覚えると気持ちがだいぶ楽になる。起きてしまったことをいくら後悔しても戻らない、覆水盆にかえらず。後悔はしてもいい、気に病んでもいい、そこからどうしようかなと考えて進んでいけば、まあどうにかなる。好きなひとばかり並べたタイムラインにそのひとたちの家族の存在を感じた時、時々寂しくなる。「みんなひとりじゃないんだな。」ひとりでいることは気楽だと思っているのに矛盾だ。誰かと暮らすのはいろいろとめんどうくさいこともあるけれど、それでもその存在を感じながらの生活はよかった。もちろんそれが嫌な存在感であれば苦痛でしかない。嫌なことあったのかな、いいことあったのかな、体調悪そうだな、そういういろんなことを感じるのがいいと思えた日々が懐かしい。愛おしくて仕方がないと思えるときは何でもよかった。自分ひとりで抱えてた問題が膨らみすぎて抱えきれなくなったときに他人を許容できなくなった。ずっと一緒に暮らせると思ってたんだけどな、ひさしぶりのセンチメンタル。ひとりになればひとりの生活があるし、それに順応して生きる。生きているあいだは生きるしかない。ポジティブな意味で寿命はあんまり長くないほうがいいな、この考え方は20代後半からずっと変わらない。いろんなことを考えながら久しぶりに泣いた、止まるまで泣いた。頭に浮かんだことをツイッターに吐き出した。ゲボみたいに吐き出した。涙も鼻水も止まらなくてティッシュの山ができた。気持ちがすっきりしたのを自分のなかで感じた。