ただ記録する。

日々の記録。

大人だってキュンとする

頭で考え過ぎて細い糸が絡まるように妄想にとりつかれるか、冷静になりすぎて壁を作ってしまうことが多い。ここ数年はそういうことが多かった。今回違ったのはとりあえず行動したということ。とにかく会って話したかった。多分、いつもこれでいいんだろうけど、頭で考えてしまうことが多くなったのは悪い意味で大人になったのかもしれない。相手が断りやすいように保険をかけつつ、ぶつけてだめならそのとき考えよう。そうやって投げたものを相手が受けとめて返してくれた。結果は社会通念上のそれとはちがう。お互いの気持ちをすりあわせた。名前のない関係性なんだけれども、名前があるからといって何かが保証されるわけではない。名前があったらすこしは安心するのかな。手に入れた名前のある関係性の次を求めてないものねだりの繰り返しなんじゃないかな。そういうことを考え出すときりがなくて、そういう自分が嫌になる。やっぱりわたしは他人とは一緒にいれないだと自己嫌悪に陥り、その根源をなくせば解決すると思うのか生きていることが嫌になる。まあめんどうくさい人間なんですよね。これを自覚しているから週末をのびのびするためになんとか働けるし、生きているんだろうな。今週末は好きな人間が家にくる。感情の昂りはないけれど、なるべくわたしも部屋もいい状態で会いたいというわけで、すこしの努力をしています。思っていたよりも表面上はおちついている。そういうわたしは感情が冷めているのかなってまた嫌になるんだけど、本当はとてもうれしいはず。感情をなくしたほうが生きやすい時期があってそのくせがでているんだと思う。本当はうれしいでしょうね。たのしみだね。きょうはもうおやすみ。