ただ記録する。

日々の記録。

とうもろこしのフリットを一緒にたべた

誰かを好きになるということはどういうことなのか。興味を持ちもっと知りたいという気持ちなんだろう。相手の気持ちを知るためには自分の気持ちをぶつけるしかない。ぶつけたところで相手がどういう反応をするかはわからない。それが真っ黒であれば諦めるのか、それでも諦めないのか。白だったらお付き合いをするということになるのか。じゃあグレーだったらどうする。わたしはよくこのグレーな状態に足を踏み入れてしまう。相手に拒否されない限りぶつけてしまう。そして粉々になったこともある。今思えばあのときは相当やられていたと思う。ここはどん底だなと感じた場所にいて、それでもここが底であればあとは登るしかないと思った記憶。昭和の根性論とよく言われるけれど、それに救われているんじゃないか、ある意味、麻痺していかれた感覚で今の時代にはまったくそぐわない論ではある。もうがんばりたくない。とにかくがんばりたくない。他人と一緒にいるとひとりよりもエネルギーを消耗する。省エネで生きていたいわたしにとって、それはかなりの消耗だ。それでも他人と時間を過ごすことを選択する理由はなんなのか。付き合えないと言われたのにやめない理由はなんなのか。「付き合うか付き合わないか」はわかりやすいけれど、重要なのは「付き合うこと」ではない。一緒に過ごす時間が大事なんだ。これが続く保証はなにもない。それでもそれを積み重ねる。すべて崩れるかもしれないというのに積み重ねる。すべて崩れるわけではないか。積み重ねたところで終わる、ただそれだけただそれだけ。付き合おうがなかろうが結婚しようがそれはゴールじゃなくて、続くだけ。途方に暮れるな。それでも他人と一緒にいたいという気持ちがあるうちはそれでいっか。