ただ記録する。

日々の記録。

ぬるいのは嫌いだ。

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母の通夜で親戚が挨拶をしろと言うから「やっと肩の荷がおりた」と言った。挨拶なんてするつもりはなかったから爆弾を投げた。でもそれが本心だ。風邪ですねとでも言うかのような感じで、母と私にがん告知をした医者。事前に家族に言うものだと思っていたからびっくりした。私自身の告知なら私が受け止めるだけで済む話。他者のそれを受け止め、いかに本人へのダメージを最小限にするか、瞬時に考えた。ガンという病気は様々だし、受け止め方ひとつで生き方は変わると思う。家族にも親戚にも可哀想だという扱いはせず、今までどおり接してほしいとだけ伝えた。長年連れ添った内縁的なおじさんには、病名をふせて欲しいと言われ、ずっとごまかし続けた。言いふらされたくないと、たしか言っていた。そんな人と一緒にいた母の気持ちが今でもわからない。もうよく覚えていないけど、2年弱、いい加減に病院に付き添った。妹とは治療のことで口論になり、罵倒した。最後は姉に任せた。最後、病室で一緒に過ごした姉はすごいと思う。たしか好きな歌を聞かせたと言っていた。わたしはバカみたいに冷静で、最後の日のすこし前から遺影のこととかを考えたり、事前に葬儀屋に金額を聞いたりして準備をした。夜中に姉からの電話でしらせがきて、病院に行った。葬儀屋とのやりとりはわたしがした。ちいさな会場で新聞にも載せず、余計なオプションについて、それは必要ですか、と冷静に確認もした。生きている人間に負担がかからないようにしたかった。妹や姉の様子はだいたい予想ができた。弟のことはよくわからなくて、極めてフラットだと思っていた。年齢の近い親戚に母の死を伝えるため電話をしたときに、泣いて声を詰まらせていた。その電話は、わたしがかわって伝えた。告別式の喪主は長男の弟だったが、直前でわたしになった。定型文で話すのがどうもだめで、お忙しい中、ありがとうございます。くらいしか言わなかった。思ってもないことを言えない、子供みたいな大人だ。演歌歌手が歌う前の口上のような、子供から母への思いを司会者が語る。まるで違ってて、苦笑いした。あのひとはとにかくファンシーなひとだった。お棺のなかに好きなものをプリントアウトした紙をいれる儀式、ファンタオレンジが好きだった、は滑稽だった。火葬場に行き、姉が押すはずだったスイッチはわたしが押した。待機の間に食事をとり、酒を飲んだ。母の姉が妹に葬儀などの段取りについてとやかく言っていているのを無視できず、わたしに直接言え、と怒りをぶつけ、泣いた。焼け終えた骨を納める場所へは無理にこなくてもいいというニュアンスで伝えたら、嘲笑された。殴ればよかったな。忌引で1週間も休むよりもはやく日常に戻りたくて、3日くらいで仕事に復帰した。朝礼でお休みをいただいたことを伝えると同時に泣き崩れた。母の死の悲しみではなく、ずっと気を張ってたことによる、緩みだ。頑張りすぎて疲れちゃったなと何かが崩壊した。わたしは母も連れ添ったおじさんも嫌いだった。「やっと肩の荷がおりた」と心から思った。母がいなくなり、仕事を辞めて、自分の店も辞め、大切だった人との別れを選び、自分のせいで居づらくなった土地をでようと、いろんな決意をして今ここにいる。きょうも朝がいたおはよう。